『府中の旧陸軍白糸台掩体壕 一日限りの内部公開』
の新聞記事を見つけ、用事を済ませてから大急ぎで出かけてきました。
掩体壕・・・・というのは、
太平洋戦争の時に、戦闘機を敵の攻撃から守るために造られた格納庫、いわばかくれみのの役割を果たしたものです。
1994年の6月~9月という、とても短い期間に、調布飛行場の周辺をとり囲むように
写真のようなコンクリート仕様の有蓋掩体壕30基と、
木材を使って金網のように造られた無蓋掩体壕30基の、合計60基が造られ、
今、都内では、三鷹市大沢に2基、府中に2基あるうちの1基が白糸台(府中市白糸台2-17)にある掩体壕です。
しかも陸軍が使用した掩体壕を、自治体が整備して保存することになったのは、この府中市が初めてとのことで、府中市の職員の方の説明も力が入っていました。
途中、部長さんらしき人をつかまえて、お話を聞かせていただきましたが、
07年~09年まで遺跡としての調査を行い、08年11月に府中市の史跡に指定、
市民参加で史跡としての保存方法などを論議して、
約2800万円の予算をかけて公園化したとのこと。
調査では、掩体壕内部には、何度も踏み固められら固い土や戦闘機のタイヤ痕なども認められたそうです。
また、掩体壕内部の寸法から、当時、東京を守る防空壕の主力戦闘機だった「飛燕」の格納庫がちょうど収まるサイズだったとのことでした。
「飛燕」といえば、
調布市が大勢の市民の協力のもとに撤去した国領町の不発弾は、
この飛燕にB29が激突した時の落としモノだということを、地元の方が話していたのを思い出します。
・・・戦争の遺跡を後世に残し、当時の様子を臨場感を持って語り継ぐことは、ほんとうに大事です。
今日も、「調布飛行場の掩体壕を保存する会」でながく活動している調布市在住の方が挨拶しておられましたが、
戦争を体験してきた諸先輩方が、あきらめずに、自治体や議会に働きかけ続けていたことが、
やっと実現して今日のお披露目となりました。
私もまだ、
政治の場に身を置く15年以上前に、市内の戦争遺跡を見て歩く活動をしていた頃、
この掩体壕を見に来ましたが、
長いとりくみが実現したことを、ともに喜びあいたいと思います。
そして、恒久平和を実現するために私もがんばらなくちゃ・・・と改めて思いました。
ちなみに、
内部は、当時、突貫工事で造ったため、セメント内にはガラスや木端など、不純物だらけの建造物のため、
とてももろくなっているので、
今後、内部を見られる機会はなさそうですが、
外からでも、充分に知ることができます。
街なかにある、身近な戦争遺跡。
ぜひ、足を運んでみてください。
ラベル:peace